すまいるのページ
自助クループ 自死遺族すまいる のスタートにあたって
私たちが願うのはただ一つ
自死遺族が亡くなった大切な家族の死を偽ることなく、隠すことなく
語れる世の中です。
それは容易なことではないことはわかっています。
そして、遺族が動かなければ実現しないことであることも。
だから、どんなに些細なことでもいいから
その実現のためにできることを無理なくやっていきたいと思います。
2024.3.20
せつこ(南部節子) 2004年2月 当時58歳の夫を亡くす
れいこ(上田玲子) 2011年3月 当時24歳の息子を亡くす
ななこ(針馬ナナ子)2015年9月 当時32歳の娘を亡くす
私の物語
すまいるのメンバーそれぞれの物語です。
せつこ
自死を語れる世の中に
夫の自死から20年経ちました。自殺対策基本法施行から18年。
自殺防止と自死遺族支援が、国及び自治体の法的な責務に!
私は自死遺族としてこんな思いをする人を少しでも減らしたいとの思いで活動してきました。
全国には大切な人を自死で亡くした人のつどい、分かち合いの会がたくさん開催されています。
しかしながら、まわりに自死しましたと言えてる人はまだまだ少ないように思います。
病死、事件、事故とおなじように自死を語れる世の中になってほしいというのが願いです。
2024.3.20
れいこ
生きているただそれだけで
「生きているただそれだけでいいのだ。」となぜ言ってやれなかったのだろう?
そして、息子を亡くしてもなぜ言い切ることができないのだろう?
息子が私に残した宿題でした。
ある日TVを見ていると上野千鶴子さんが、「ケアは非対称な行為」とおっしゃっていました。
確かに「ケアは非対称な行為」だけれども、「ケアはする方とされる方が時として入れ替わる行為」
というのが現場にいた私の実感です。
「ケアをしているつもりがいつの間にかケアされている」、私はそこにケアの醍醐味を感じていました。
そんなことを考えていたら、ふと気がついたのです。
「生きているただそれだけでいいのだ。」と私は私に言えなかったのだと。
そう気づいた時、息子からの宿題に答えがでた安堵感で心がほぐれるのを感じました。
これからは言える。
哲学的、宗教的な裏付けがなくても。
それは私が言って欲しい言葉だから。
たけ、今日はあなたの35回目の誕生日です。
生まれてきてくれてありがとう。
そして、あなたの望む言葉をかけてあげられなくてごめんなさい。
「生きているただそれだけでいいのだ。」と。
2021.7.16
れいこ
うつ向かないで
「前を向いて生きていこうと思います。」
自死で息子を亡くしてから何度この言葉を口にしたでしょうか?
あれから10年。今年も新緑が美しい季節になりました。
日常生活は元に戻り、体調はほぼ回復しました。
そして、時折波のように大きくうねるかなしみは、息子と私をつなぐ大切なものになりました。
もし、私がぼけてしまい色々なことがわからなくなったとしても、
このかなしみは、息子がお迎えに来てくれる日まで、片時も離れず寄りそってくれるような気がします。
息子の間違いは、大きな声でみんなに助けを求めなかったこと。
そして私の間違いは、救いを求めるかすかな彼の心の声をきく、ゆとりと勇気を持てなかったことだと、
今は思っています。
それは、取り返しのつかない間違いになりました。
ただ、自ら命を絶ったとしても、その時まで彼が葛藤しながらも懸命に生きたこと、
そして、その生涯に幸せを感じた瞬間が何度もあったに違いないことを私は知っています。
だから今は、「うつ向かないで顔を上げて」生きていきたいと思っています。
心の傷が開かないように気をつけながら。
2021.5.10
れいこ
想い出に変わるとき
朝のいつもの流れで「あさイチ」を見ていたら、「思い出のレシピ」という特集をやっていました。
東日本大震災の「食の思い出」についての特集とのことでした。
「10年ひと昔」というけれど、東日本大震災の2ヶ月後に息子が亡くなってからあと半年で10年になります。
そして、10年という歳月が、息子が自ら命を絶ったという事実を「想い出」に変えつつあります。
こうしてブログを書いていても相変わらず涙は溢れるけれど、
それは慟哭の激しい涙ではなく、いとおしさと懐かしさと切なさが入り混じったあたたかい涙です。
「これでいいんだよね?」
いつも見守ってくれているはずの息子の返事が欲しい・・・
2020.11.12
れいこ
負のスパイラルを断ち切るために
ホームページ作成の途中で見つけた熊本県の“かたらんね”だよりの最新号のコロナウイルスの記述に目がとまりました。
「不安や恐れは人間の生き延びようとする本能を刺激します。」というものです。
日本赤十字社の出典というのでしらべてみたら、~負のスパイラルを断ち切るために~という資料がありました。
そこに、「この“感染症”の怖さは、病気が不安を呼び、不安が差別を生み、差別が更なる病気の拡散につながることです。」とありました。
わからないことが多いから不安を呼び、不安が差別を生む。
以前、支援者の方と「自殺」への偏見をなくすことと、遺族が「自殺」って言えるようになることは、どちらが先か、ニワトリとタマゴの関係のようだという話になったことがあります。
偏見が、人間の生き延びようとする本能からくるものならば、偏見をなくすために必要なのは、「偏見は
いけない。」ということではなく、不安や恐れをもたらす「わからない」をなくしていくことなのではな
いかと、ぼんやりと思っていたことがはっきりしました。
どこかで負のスパイラルを断ち切るためには、遺族が発信していくことが大切なのではないか。
ふと、15年前国会議員会館で行われた「自殺対策シンポジウム」で体験を語った遺族の大先輩で仲間の女
性の顔が浮かびました。
そして、最初に会った遺族が彼女だった自分の幸運を思いました。
彼女のようにはできないけれど、私は私にできることをやっていこう。
大切なことは、できる人が、できるタイミングで発信していくことなのだ。きっと。
2020.5.16
れいこ
こんな時が・・・
息子の気配をいつになく感じる日が続いていた暮れの朝、「あさイチ」で久しぶりにうつ病の特集をやっていました。
朝食を一緒にとっていた夫が、「通院している職場の同僚がいる。」と言った時、『その時』ではないかという予感がし息子が背中を押してくれるのを感じながら、『あの日』の息子の様子を、当時単身赴任していたために不在だった夫に話すことにしました。
2,3日前から様子がおかしかったこと。
あの朝、「病気かもしれないから今度病院に行ってみよう。」と息子に言い残して家をでたこと。
うつ病について多少の知識があり精神科の治療に疑問をもっていたために、内心「やっかいなことになっ
た。」と思ったこと。
ただこれだけのことを夫に話すのに8年半の月日がかかりました。
けど8年半の歳月が、その間のさまざまな出来事が言わせてくれた。
こんな時が来るんだ・・・。
ひとつの区切りがつきました。
2020.1.7
れいこ
『いのちの深呼吸』見ました
9月10日~9月16日は自殺予防週間でした。
私の住む厚木市では、「いのちの映画祭&ゲートキーパー養成講座」という企画を開催しました。
そこでとりあげられた『いのちの深呼吸』という映画を、企画とは別に自分でお金を出して見に行きました。
岐阜県で自殺防止活動に取り組む僧侶のドキュメンタリー映画です。
ゲートキーパー養成講座を受けた後この映画を見た市民は、どんな思いを抱いたでしょうか?
近しい人を3人自殺で喪い、「なぜ?」という思いから逃れられない住職。
そして、おそらくそんな自分を支えてくれているはずの自殺防止活動で、自死に傾く人に寄り添い支えているうちに、追い詰められ体が悲鳴をあげる。
自死が周りの人に与える影響の深さを思い、私には、ひりひりとした痛みが残りました。
息子を亡くして8年余り、ふと息子の自死は、病死や事故死と同じように亡くなり方のひとつではないかという気がするときがあります。
そして、『自死に問題があるとしたら、それは遺された者の問題ではないのか?』ぼんやりとそう思うときが。
私は、平野啓一郎の『空白を満たしなさい』という作品を読み、「なぜ?」という問いを放棄しました。
息子が亡くなった当初、とりつかれたように「なぜ?」を追い求めたのは、「なぜ?」が解れば息子が生き返ってくると半ば本気で思っていたから。
そして、「なぜ?」という問いを放棄した今、自分にとって一番大切なものを見失わないように生きようと思っています。
息子の不在にどうしようもない感情に襲われる自分と同じように、些細なことに幸せを感じている自分、時にはおなかを抱えて笑い転げている自分がいることを受け容れながら。
誰よりもそれを望んでいるのは息子だと信じて!!
そして、自死に対する偏見をなくすために、自ら命を絶った息子の尊厳を守るために自分にできることがあるならば、無理なくやっていこうと。
2019.10.1